
※登場人物は全て仮名です。
わたしの名前は、田中さくら。32歳。
会社員で、健康診断のたびに「もう少し気をつけて」と言われる、どこにでもいる女だ。
特技は残業と、コンビニスイーツの新商品を制覇すること。
健康への意識は、ほぼゼロに近かった。
そんなわたしが、屋久島 春ウコンと出会ったのは、ある金曜の夜のことだった。
仕事終わりに帰宅して、ソファに倒れ込みながらスマホをスクロールしていた。
猫の動画。
誰かの旅行写真。
スイーツのレビュー。
そこに突然、流れてきた。
「#屋久島春ウコン 毎朝の習慣になりました!」
写真は、清潔感のある木製トレーの上に、茶色い小瓶が置かれているやつだ。
よく見るタイプの、いわゆる「丁寧な暮らし」系の投稿。
わたしは一瞬だけ見て、スクロールした。
関係ない。そう思った。
ウコンといえば、居酒屋の前に飲む黄色いドリンクだ。
わたしは毎晩浴びるほど飲む人間ではないし、用はない。
完全にスルーした。
翌週の昼休み。
同期のみどりが弁当箱を広げながら、突然言った。
「ねえ、屋久島の春ウコン知ってる? 最近飲み始めたんだよね」
またウコンか、と思った。
みどりはときどき急に健康系に目覚める。
去年はモリンガ、一昨年は甘酒だった。
大体3ヶ月で飽きる。わたしはそれをずっと見てきた。
「二日酔い対策でしょ」とわたしは言った。
みどりが箸を止めた。
「さくら、それ違うから」
少し沈黙があった。
「春ウコンと秋ウコン、別物なの」
またはじまった。みどりが何かに詳しくなる季節だ。
わたしはとりあえず、白米を口に入れた。
話が長くなる予感がしたので、おかずを先に食べておいた。正解だった。
「秋ウコンはクルクミンが多くて、肝臓サポートって感じ。でも春ウコンは精油成分が多いから、胃腸とか全体的な体調を整える方向なんだって」
「ふーん」
「しかも産地が屋久島なのが大事で。水が本当にきれいなの。世界遺産の島でしょ。花崗岩の地層に雨水がゆっくり染み込んで、農薬に頼らなくていい土ができるらしいよ」
「へえ」
「あと精油成分って熱に弱いから、粒タイプが一番成分を無駄にしないんだって。粉末は料理に使えて便利だけど、加熱すると成分が飛んじゃう」
わたしはそこで、みどりの弁当のからあげが大きいことに気づいた。
なぜか急に気になって、3秒ほど意識が飛んだ。
「さくら、聞いてる?」
「聞いてる聞いてる」
聞いていなかった。
帰宅してから、なぜかスマホで「屋久島 春ウコン」と検索していた。
自分でも驚いた。
調べれば調べるほど、みどりが言っていたことは本当だった。
春ウコンの精油成分は、秋ウコンの27倍ともいわれている。
屋久島の年間降水量は、場所によっては国内最多クラスだ。
その水が育てる土は、余計なものが入らない。
「産地なんて気にしなくていい」と、ずっと思っていた。
恥ずかしかった。
さらに検索を続けていたら、妙なページに行き着いた。
広島大学の研究論文だった。
難しい言葉が並んでいて、最初は読み飛ばしそうになった。
でも「クルクミン」という文字が目に入って、手が止まった。
クルクミンというのは、ウコンに含まれるポリフェノールのことらしい。
論文には、ストレスを受けたマウスの脳内でミトコンドリアに障害が生じることが確認されたと書かれていた。そしてそのマウスにクルクミンを投与したところ、ミトコンドリアの機能が改善方向に向かったという。
要するに、細胞レベルでの基礎研究だ。
わたしは理系ではないので、正直全部はわからなかった。
ここで突然「ミトコンドリアってなんか聞いたことある」という程度の記憶がよみがえってきた。
中学の理科だ。たぶん。
でも「ウコン、研究されてるんだ」という事実だけが、頭にすとんと落ちた。
コンビニの黄色いドリンクの原料だと思っていたものが、大学の論文に出てくる。
なんか、急に格が上がった気がした。
勝手な感想だとは思う。
そこで思い出した。
2年前。 実家の母から、茶色い小瓶が届いていた。
「屋久島の春ウコンよ。毎日飲んでね」というメモ付きで。
わたしは棚の奥にしまい込んだ。
そのまま引っ越した。
捨てた。
部屋の片付けをしながら「これ何だっけ」と思って、そのまま捨てた。
未開封のまま、資源ごみに出した。
母は一度だけ「飲んでる?」と電話で聞いてきた。
「飲んでるよ」と即答した。
今思えば、声のトーンでバレていたと思う。
インスタに戻って、もう一度「#屋久島春ウコン」を検索した。
投稿が、たくさんある。
「毎朝続けて2ヶ月、胃の調子が変わりました」
「親へのギフトにしました。喜んでもらえた」
「産地にこだわって選んでいます」
あ、そうか。
これは酒飲みのための商品じゃなかったんだ。
毎日の体調を整えたい人が取り入れるもの。
健康に気をつかい始めた人が選ぶもの。
大切な家族に「元気でいてね」という気持ちを乗せて贈るもの。
そして研究者たちが、地道に成分を調べているもの。
わたしは3年間、ジャンルをまるごと間違えていた。
居酒屋で飲む黄色いドリンクと、屋久島の手のひらサイズの小瓶を、同じ棚に並べていた。
カテゴリが、そもそも違った。
翌日、みどりにLINEを送った。
「昨日の話、もう少し詳しく教えて」
みどりから5秒で返信が来た。
「え、急にどうした? 笑」
「ちょっと調べたら面白かった。大学の論文まで出てきた」
「わかる! ちゃんと調べられてる素材なんだよね」
言ってた。完全に聞いていなかったのはわたしだ。
その後、みどりから30分にわたって追加情報が届いた。
粒タイプと粉末タイプの使い分け、飲むタイミング、母へのギフト包装の話まで。
今回は全部、ちゃんと読んだ。
3月に入って、わたしははじめて自分で屋久島 春ウコンを注文した。
粒タイプを選んだ。
精油成分が熱に弱い、というみどりの話を今度こそ覚えていたからだ。
届いた小瓶を手に取った。
思ったより、軽かった。
でも中身のことを知ってから手にすると、同じ重さでもなぜか少し違って感じた。
それと一緒に、母の分も注文した。
母に電話した。
「春ウコン、送るね」
電話の向こうで、一瞬だけ沈黙があった。
「あら、急にどうしたの?」
「前にもらったやつ、飲んでなかったから」
また沈黙。
「知ってたわよ」と母は言った。
笑っていた。
3年越しの白状が、案外あっさり終わった。
荷物が届いた翌日、母からLINEが来た。
「ありがとう。一緒に飲もうね」
スタンプは、黄色い花だった。
春みたいだと思った。
毎朝、粒を2粒飲んでいる。
たったそれだけのことだ。
でも不思議なもので、それだけのことで朝の気分が少し違う気がする。
気のせいかもしれない。
プラシーボかもしれない。
でも続いている。
産地を確認してから買い物するくせが、少しついた。
コンビニの棚を眺めながら「これ、どこ産だっけ」と思うようになった。
ウコンひとつで何かが劇的に変わるわけじゃない。
でも知ってから選ぶのと、何も知らずに流すのとでは、積み重なるものが違う気がしている。
3年前のわたしに、一言だけ言えるとしたら。
「棚の奥にしまう前に、ちょっとだけ調べろ」
それだけだ。