
※登場人物は全て仮名です。
去年の十月、私は完全に勘違いをしていた。
インスタグラムのタイムラインを流し見していたとき、ある広告で指が止まった。深いネイビーのロングワンピース。丈はくるぶしまであって、素材はとろみのあるサテン系。なんとなく品があって、なんとなく目を引いた。
「これ、若い子が着たらかわいいだろうな」
そう思った。そして私は即座にスクロールした。50代の私には関係ない話だ、と。
ところでこの「即スクロール」という行為、みなさんも心当たりがないだろうか。「これは私向けじゃない」と判断するのに、0.3秒もかからない。その無意識の早さたるや、もはや特技と言っていい。
話を戻す。
その三週間後、ちょうど娘の誕生日が近かった私は、そのワンピースのことを思い出した。確かネイビーとカーキがあった。娘は28歳。似合うはずだ。よし、プレゼントにしよう。ポチった。
商品が届いた土曜日の朝、娘はまだ寝ていた。
袋を開けて、なんとなく広げてみた。
手触りがよかった。思っていたより上質な生地だった。なんとなく、ほんの出来心で、羽織ってみた。
鏡を見た。
「……あれ?」
ウエストのゆったり感が、ちょうどいい。長い丈が、足首のむくみをすっぽり隠してくれている。というか、隠しているという感じじゃなくて、なんというか、ラインが整って見える。縦に流れるシルエットが、重心をどこかに集めて、全体をスッキリ見せてくれている。
いつものパンツスタイルより、たぶん、十歳は若く見える気がする。
「……若く見える気がする」は言い過ぎかもしれないが、少なくとも「悪くない」どころか「かなりいい」だった。
しばらく鏡の前でくるくると回っていたら、娘が起きてきた。寝ぼけ眼で私を見て、数秒フリーズして、それから言った。
「ママ、それ私へのプレゼントじゃないの?」
「……そうよ」
「着てるじゃん」
「試着してただけ」
娘はスマホを取り出し、何かを検索して私に見せた。「ロングワンピース 50代 トレンド」という検索結果が、どこまでもスクロールしても終わらないくらい出てきた。投稿数は万の単位だった。
「ママ、これずっと前から流行ってるよ?」
その夜、私はインスタを開いて「ロングワンピース 50代」と検索してみた。
出てくる出てくる。スッキリした体型の50代女性たちが、さまざまなロングワンピースを颯爽と着こなしている写真が、これでもかと並んでいる。コメント欄には「どこのですか?」「素敵すぎます」「参考にします」という言葉が洪水のように流れていた。
私は静かにスマホを置いた。
世界はとっくに知っていた。
翌週、仲良し4人グループのランチの席で、残りの3人全員がロングワンピースを着ていると気づいたとき、私の心は完全に折れた。しかも3人ともスッキリ細く見える。なぜ。
「ねえ、みんないつからこれ着てるの」
「え、もう二年くらい?」
「去年の春から」
「私は一昨年かな」
二年。みんな二年前から知っていた。
私は何を着ていたかというと、「体型キープしてます感」を演出するためのスキニーパンツとショートジャケットだった。一生懸命だった。本当に一生懸命だった。
鏡に映る四人を見てわかってしまった。頑張ってる感が滲み出ているのは、私だけだった。
それから一週間後、私はセレクトショップで膝丈のフレアスカートを試着していた。まだ諦めていなかった。「膝が出るくらいの丈が若々しい」という信念を、まだ手放せていなかった。
そのとき隣の試着室から出てきた女性が、マキシ丈のロングワンピースを着ていた。
息をのんだ。素敵すぎて。
思わず話しかけた。「それ、どこのですか?」
「このお店よ。あなたも試してみたら?」と、やさしく言ってもらった。
店員さんに声をかけると、彼女はにっこり笑って、でも少しだけ核心をついたことを言った。
「50代からは、丈が長いほど不思議と若く見えるんですよ。短くして肌を見せるより、シルエットで魅せる方が、今の体型を一番きれいに見せてくれます」
わかってた。頭では、わかってた。
でも「若く見せたい=短い丈、肌を出す」という方程式が、どこかに根強く残っていたのだ。二十代の頃の成功体験が、三十年近く上書きされずに残っていたのだ。
膝丈のフレアスカートは、そっとハンガーに戻した。
その日買ったロングワンピースを、家に帰って改めて着てみた。
丈はくるぶしより少し上。素材はとろみがあって、動くたびにさらさらと揺れる。ウエストは絞りすぎず、でもラインはちゃんと出る。体を隠すんじゃなくて、整えてくれるデザイン。
鏡の中の自分を見て、正直に思った。
「品がある」
こういうことか、と思った。若作りじゃなくて、今の自分に合った洗練さ、ということか。体型が変わったことを嘆くんじゃなくて、今の体型を一番きれいに見せてくれる服を選ぶ、ということか。
窓の外は夕暮れで、西日がリビングに斜めに差し込んでいた。なんだかちょっとドラマチックな気分になって、自分で自分に笑ってしまった。
スマホに娘からメッセージが来ていた。
「ねえ、そのワンピース、私も着ていい?」
私は三秒考えて、返信した。
「ダメ」
結局のところ、50代のロングワンピースとの出会いとは、こういうものなのだと思う。最初は「私には関係ない」と思ってスクロールして、気づいたら自分が一番似合っていて、周りはとっくに知っていて、少し恥ずかしくて、でも鏡の前で和解して、最終的に娘に貸してあげない。
そういう話だ。
50代のロングワンピース。旅行や食事会に重宝する注目スタイル